『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』
観劇レポート
日本大学芸術学部演劇学科3年
伊藤恭平
 東京オリンピックが延期されずにこの作品が上演されていたらどのようになっていたのだろうか。世界を一変させてしまった新型コロナウイルスは、オリンピックをも失わせたが、オリンピックが開催されないという日常をもたらした。
 作中では主人公カズオは人々に過剰なまでの期待をかけられ、その重さから自身の心身を苦しめていくことになるが、それとこのコロナ禍においてもあくまで2020年東京オリンピックの開催に向けたこれまでの組織委員会をはじめとした政治的な動きから、オリンピック自体に過剰な期待(その大部分は経済的な期待であろう)をかけていく姿とカズオに期待をかける人々が重なって見えた。
 この作品の時代設定であろう1964年と2020年ではどのような違いがあるのだろうと考えると、作品冒頭にもあったように繰り返されているところが多いと思った。作品後半のテレビ番組の制作をしているシーンの意味合いは現在でより強く出ていると思った。今年オリンピックが開催されないことを顧みる余裕もなく、以前の日常を取り戻そうとする現在の日本の状況が印象的な「からっぽ」という言葉に象徴されていた。オリンピックが延期になるという状況は当然想定されていなかっただろうが、現在の状況によって「からっぽ」が強調される結果になったと思う。しかし、東京オリンピック通常どおり開催され祭典のムードが漂う中では、はたしてこの作品をどのように受け取ることになったのだろうか。
 野外劇としてこの作品を観ると、否応なしにそれが上演されている町を意識せざるを得なくなる。池袋というとオリンピックに関連する施設が多くあるわけではないが、あの場で野外に装置が立ち上がっていく様は、町がオリンピックによって大きく変わっていく実感を思い出した。私は、国立競技場の近くの高校に通っていたのでまさにその三年間、町が大きな変化をしていく様を目の当たりにした。新国立競技場の設計の問題や周辺の公園などに住む路上生活者を排除したことへの抗議等も行われていたが、私は次々に新しくできる施設にわくわくして期待を寄せる一人であった。期待によって成り立つという経済のしくみからオリンピックを捉えられた。