『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』
観劇レポート
日本大学芸術学部演劇学科2年
戸田くらら
 まず、野外劇場に足を踏み入れて最初に聞こえてきたのは、小鳥のさえずりだった。このさえずりはスピーカーから流されているものであると少し経ってから気付いたが、このさえずりの存在は池袋の喧騒と舞台を同居させるための橋渡し役として重要な役割を果たしているのだと感じた。このさえずりの存在自体を例え観客皆が認識していなかったとしても、知らず知らずのうちに観客を舞台の世界の中に誘っているのだと私は考えた。
 そして上演が始まり、舞台の脇にあるステージから生バンドの演奏が聴こえてくる。聴こえてくる音楽は、俳優を目の前にしての生での演奏ならではの呼吸の合い方、一体感を感じさせ、俳優の演技を効果的に演出していると感じた。この作品は、池袋の喧騒の中、野外で上演されたことにより、人々の営みから生まれる喧騒とライブで奏でられる音楽、そして俳優の演技とが絶妙に融合し、舞台上で展開していく物語が、決して過去の話ではなく、“今”を映しているのだということを無意識のレベルで感じることができると感じた。
 この作品を鑑賞して、日本の全体主義的な熱狂の持つ“怖さ”を考えさせられた。この作品では、1964年の東京オリンピック前のころを舞台に物語が進んでいるが、この作品を通して感じた日本の全体主義的な風潮は、メディアやSNSなどの情報に踊らされ、目立った情報が出て来ればその情報に熱狂する現代の日本においても共通するものであると考えた。特に、コロナ禍において、有益だと思われる情報が出てくれば、その真偽や、それ故に発生する弊害を気に留めることなく、物品の買い占めなどの熱狂が起きたことは、その最たる例であると言えるだろう。そう考えたとき、この作品が上演されたのが、2020年夏に予定されていたオリンピック前ではなく、コロナ禍によってオリンピックが延期となった今上演されたことで、この作品を上演する意味は、当初の今夏のオリンピック前に上演する以上に強まっていると感じた。むしろ、今だからこそ上演をする意味があるのでは、とすら感じさせられた。
 そして、物語のラストに舞台上に現れた色とりどりの大きなビル群は、カズオとカズオを応援する周りの人たちの夢であると同時に、あまりにも大きすぎる期待やプレッシャーの象徴であり、それがカズオの前に高々とそびえたっているのだと感じた。これを目の当たりにしたとき、全体主義的な熱狂の中のその裏にある虚無感、『からっぽ』さを感じずにはいられなかった。