『真夏の夜の夢』観劇レポート
大学4年
匿名
 今回の作品で視覚的に印象に残った事と、聴覚的に印象に残った事がある。まずは、視覚的に印象に残ったものについて述べていきたい。⼀つ⽬はパネルや銀⾊の台を使い映像を組み込んでいた事である。これにより、⼩さくなったり⼤きくなったりするパックや、⼈々の頭の中に出てくるメフィストフェレスが可視化された。映像を使うことにより、⽣の⼈間では表現しきれない場⾯を、映像と⽣の俳優と⼆つが交わることで、より不可思議な世界を作り、野⽥秀樹⽒の戯曲に感じる疾⾛感が増したと考えた。しかし後半になるにつれ、映像に頼りすぎではないかと感じた。⽣の俳優の息やそこに存在しているライブ感が薄れ、少々冷めてしまった場⾯があった。
 ⼆つ⽬の視覚的に印象に残った事は、⾐装にビニール袋が使われていた事である。最初は何気なく⾒ていたが、メフィストフェレスが「富⼠⼭をここに〜」と⾔い、合図した瞬間に上から落ちてきたところや結婚式の余興の練習をする職⼈たちの⾐装がビニール袋という事を終わった後に鮮明に覚えていた。観劇後に⾐装と美術についてのトークショーで、「ビニール袋は、料亭のゴミ袋」と聞きいた。さらに富⼠⼭のゴミ問題の事もあり、夢の中なのか現実なのか、すごく曖昧な中で時々出てくる現実、これを突きつけられていたんだと、感動した。
 そして、聴覚的に残ったのは、”⾔葉遊び”だ。元々、シェイクスピアの戯曲には、”⾔葉遊び”要素が散りばめられている。原作は英語で書かれている為、⽇本語訳にすると少し分かりにくくなる。しかし、野⽥秀樹⽒潤⾊の『真夏の夜の夢』は、舞台を⽇本の割烹料理屋にしたことで、シェイクスピアの戯曲の中の”⾔葉遊び”を復活させていた。⽇本語という⺟国語で”⾔葉あそび”楽しめたあの瞬間は、当時とは別の物だが時代を超えて、シェイクスピア時代の当時のお客さんと同じ感覚になったのではないかと思う。
 劇の感想とは関係ないのだが、終わった後のカーテンコールに涙が出そうになった。昨今のコロナ禍で、劇場という場所が真っ先に閉ざされた時の事を思い出した。このエネルギッシュな作品をこの時代に観ることが出来て、本当に良かったと⼼から感じた。