『フィガロの結婚』観劇レポート
お茶の水女子大学4年
清水奏
 私は恥ずかしながら、この歳になるまでオペラを食わず嫌いしていた。難しい音楽、わからない言葉で知らない国の昔話をしているものだと思い込んでいたからだ。今回は友だちと応募してみようという話になり、いつも通る池袋でオペラが見られるのならと応募した。
 少し背伸びした服装で緊張しながら劇場に入ると、金色の箱が3つと金色の舞台。舞台の床は金色なのだが、濃淡があるため安土桃山時代や江戸時代に書かれたまちの俯瞰図を上から(私の席は3階席)眺めているようだった。なんだこれはと思っているうちに竹を交差させぱちぱちさせる人が入ってきて、「庭師なのか」と気づく。私はミュージカルが好きでよく見ていたので、「ジーザスクライスト・スーパースターだ!」と思ってしまった。この竹は劇中の至るところで活躍する。時には枝切りばさみに、時には浄瑠璃の人形を操る棒に、しまいには洗濯の物干し竿になる。また舞台転換に使われるのは長い竹で、竹がこの舞台の影の主役だと感じた。
 庭師・アントニ男が事の次第を話してくれて分かりやすい。私のような初心者に向けていろいろと説明してくれた。問題の言語だが、日本人の登場人物は日本語で、伯爵たちはイタリア語で話していて、見ていてとても面白かった。お互い違う言語を使っていても話が通じ合ったり、噂話が互いの耳に入ったりしているところも面白い。イタリア語の歌唱を学校の音楽の授業以外で聴いたのは初めてであったが、言葉の響きと音楽の響きが調和しあっていてとても美しかった。イタリア語の歌唱のときは後ろに字幕がでるため安心した。しかしその字幕も野田秀樹さんが担当していて、言葉回し一つひとつに工夫が凝らされており、字幕にも注目する必要があって目が足りなかった。
 舞台を日本に置き換えていることから出てくる面白さが日本人の私としては楽しめたポイントとの一つであった。たとえば、伯爵とスザン女のデートシーンの舞台は神社であったのだが、伯爵はお参りの仕方が分からず少し戸惑っていてかわいらしかった。また、最後の伯爵夫人とスザン女のたくらみが暴かれるシーンでは鍋が登場し、これがこのシーンの面白さに一役買っている。怒りにはらわた煮えかえる・・・・・は鍋がぐつぐつと煮立つ様子が盛り込まれ、一杯食わせてやろうでは、本当に鍋の中身を食わせて・・・・いた。演劇的な視点から見ても、日本人のギャグ好きな点からみても多くの人が楽しいと思えるような演出だったと思う。
 ほかにも衣装がかわいらしかったり、ご当地助っ人合唱団の皆さんが良い味を出していたりと見どころは満載であった。長い時間の公演ではあったものの、見終わってみるとあっという間であった。
 オペラってどんなものだろう、少し見てみたいけれど敷居が高いと感じている人は、ひとまず足を運んでほしい。やはり百聞は一見にしかず。されど百見は一考にしかず。されど百考は一行にしかず。