『ビッグ・ナッシング』観劇レポート
日本大学芸術学部演劇学科3年
手島里沙
 演劇に意味とメッセージ性と言葉を「絶対」のものとして求めていた私が少し恥ずかしくなるような作品だった。今思えば、幼いころはそんなことを考えていなかったと思う。立った時の影がちょっと猫みたいに見えるとか、位置的に遠くにいる人が浮いているように見えるとか、意味は分からないけど本の挿絵が可愛いとか、芸術は私にとってそういうものであったはずだった。いつのまにか私たち大人は言葉に依存して、もしかすると作品のありもしないメッセージを真剣な面持ちで対論する。それも芸術といえば芸術であるが、それ以外を受け付けないようにどこかブロックしていたのかもしれない。
 今回は前情報を何も入れずに観ることにした。海外の作品ということであまり分かるとも思っていなかったが、全てを知ってから観るのも気が引けたからだ。
 演者は手作りの影絵を舞台上で動かしていく。観ている時は本当によく分からなかったし、嫌な夢をずっと見ているみたいだった。あまり演者が映されなかったため、ますます「夢」そのものを観ている感覚が強かった。上映という形であったが、この作品は実際に観るのと上映されて観るのとでは相当感じ方が違ったのではないかと思う。何も分からず意味が知りたくてもう一度パンフレットを見返すと目に飛び込んでくるのは「ビッグ・ナッシング」だった。本当になにもないというのが視覚から提示されて感嘆したのを覚えている。すっきりしたような、じゃあなんだったんだというような、なんだか不思議な気持ちでとても面白かった。
 「言葉に依存していた」と先述したが、言葉がないというのは国際的である。海外の作品であろうと、まず言葉というものがなければ分からないものはそうそうないだろう。そしてきっと観た人によってどこまでも想像することができる。この作品自体が開かれているのだ。誰にでも公平に与えられた作品なような気がする。