『汝、愛せよ』観劇レポート
日本大学芸術学部演劇学科3年
橋本珠里
 「差別」と「いじめ」と「いじり」は違うと言われてきました。どこからが「いじめ」か? どこから「差別」なのか。この作品を見てすべてがイコールで繋がった気がしました。アメニタスに対する偏見と先入観を無くすために力を尽くしているように思えた医師たちが、最も身近な同僚を「悪い意味でなく」動物に例えて笑いものにし、移民でありアメニタスを殺めたことから追放しようとする展開。差別反対を訴える人たちは自身も差別意識が強い、それは最後の場面で明らかになるのではなく、ふと漏れる「犬」や「エイリアン」という言葉から彼らもまた先入観と戦っているのだ、と分かる仕組みになっています。しかもそのうちのひとりはアメニタスの暴力を身を持って体感している。彼女の傷を見たとき私は「やっぱりアメニタスは凶暴なんだ」と思ってしまいました。私がアメニタスについて覚えていることは、暴力的で、性に旺盛で、目が憎悪に満ちているという悪い特徴ばかりです。でもそれはおしなべて我々人間と同じです。シンポジウムのオープニングでは我々がアメニタスに期待しすぎることから彼らの人間性を受け入れられず差別が始まると言っていましたが、まさにその通りで、しかもそれはそのまま全員のアルトゥールへの態度と繋がります。彼を「子どものように純粋で裏表のない人間」と評価した上で「うさぎそっくり」「かわいい!」と言いますが、それが次第に自分たちのイメージから離れていくにつれて彼を排斥しようとします。アルトゥールが人の喉笛を踏みつけて殺したと知れば、彼が少し身じろぎしただけで複数人で押さえつけます。彼自身が「何もしていない!」と叫んでもです。でも彼は実際にカッとなってタクシー運転手を殺しているし、同僚のことも殴ります。そのどうしようもなさ、アルトゥールの暴力から身を守ったことには違いないし、アルトゥールもまた、アメニタスのタクシー運転手から「うさぎそっくり」と言われたことから身を守ったのです。その殺意の底にアルトゥールのアメニタスへの果てしない差別意識があるとは私は思いません。この「汝、愛せよ」はさまざまな要素が物語に複雑に折り重なっていて友人にあらすじを伝えるのも難しかったのですが、現代もなお蔓延する人種間の差別問題を身近な人間関係の問題に落とし込み、2時間絶え間なく「差別とは何か」を問い続けている作品でした。