『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』
観劇レポート
日本大学芸術学部演劇学科3年
手島里沙
 オリンピックが今年開催されないことに心底安堵した。しかし、これからまたオリンピックがあることにとてつもない嫌悪を抱いてしまうかもしれない。
 私は今まで『オリンピック』というものに興味があまりなかった。人がスポーツをやっているというだけなのに、それに熱狂する人々が私には異常に見えていた。24時間テレビのマラソンもしかり、人はなぜ人が走っている姿に感動するのか、自分のことのように一喜一憂できるのか、応援できるのか、ずっと疑問だったことがこの演劇を通して初めて解決した。『人は無責任に人に重い想いを馳せるのだ』。そして人は想いをはせた人物を人ではなく、劇中にも言われていたように『夢』として見ている。だから人は自分の夢に熱狂する、劇中のかずおを私たちの『日本』として、私の『夢』として、無理やりにでも素晴らしい姿でいてもらうことを強要する。彼がひとりの人として見られていたのはきっと破産寸前の工場に来る前までだったのだと思う。彼は死ぬと決めた時でさえ、よくしてもらった人々の夢になるために自分を殺した。しかし彼を殺したのは彼をひとりの人として見ていなかった日本の全ての人である。最初から工場の人々は彼を『道具』としてしか見ていなかった。彼はよくしてもらったと言っていた。こんなに悲しいことがあるのかと思う。かずおは両親がおらずきっと愛をもらっていない。だから人から利用されることにすら愛を感じてしまったのだろう。
 みんながニッポンチャチャチャを歌っている時、私は本当に涙が止まらなかった。吐きそうなぐらい泣いていた。ニッポンチャチャチャが呪いのように反芻されて、こんなにも演劇でうるさいと思ったことはなかった。観ている私が一番やめてくれと思っていたかもしれない。誰も真ん中にいたかずおに気づかない。勝手に騒いで盛り上げたくせにいなくなったらいなくなったでみんなの生活は変わらない。プロのマラソンランナーしかり、芸能人しかり、みんなからっぽの消耗品でしかないのだろう。
 私たちもからっぽだ。そんなことも知っている。しかし、指をさされて「からっぽ!」と言われたときにドキリとした。私も私の想いを誰かに勝手に押し付けたことがある。友情も恋愛も家族愛も、押し付けたことがある。自分の気持ちを自分からこそぎとって、誰かに押し付ける。からっぽな人間だと思う。
 野外劇は街に溶け込んでいってとても好きだった。自然音が音響みたいで、会場の外の人々はみんな普通に通り過ぎる。『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』が、かずおが、日本に溶けていく舞台だった。